2010年08月11日

スティーブン先生WSレポート(7/17)その1

超夏日!カラリと晴れた空は快晴!最高の天候に恵まれた本日、スティーブンの日本初ワークショップの開催です。

 

 


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午前のマイソールは、体調を崩されたり、怪我をされたり、レディースホリディとなったり・・・とキャンセルを余儀なくされた方々が多く、予定よりも少ない人数のクラスとなり、そのため参加者全員にとても細かい指導がなされました。クラス最後には、ひとりひとりにフィードバックと今後の練習のアドバイスもあったりと、まさにマイソールスタイルの良い部分を体験していただける、貴重な機会だったのではないでしょうか。

 

スティーブンの指導は基本に忠実で、いわゆる「伝統的」と言われる姿勢が貫かれています。が、彼は「伝統的」という言葉を厭い、「グルジがcorrectと言ったやり方」と表現します。

 

そして彼は常に私達を「いまよりも、もうちょっと先」を目指すよう力づけてくれます。ついつい私達はいつもと同じ「楽ちんゾーン」に留まりがちですが、ほんの少しの努力で、どれだけの変化が生まれるのか、ということに気づかせてくれます。

 

いわゆるポーズの完成形そのものが目標ではなく、そこを目指して努力すること自体の大切さを、献身的に伝えようとする姿勢は、恐らく自身が身を持って経験してきたヨガのエッセンスへの、揺るぎのない信頼と帰依の表れなのだと思います。

 

 


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午後は3時間にわたる「アシュタンガヨガ入門と探求」のクラスでした。アシュタンガヨガとは?ポーズの正しい実践法とは?ヨガ的生活とは?グルジとは?等々、私達のアシュタンガヨガの実践をさらに豊かにする内容となりました。

 

まずは広義の「ヨガとは?」のお話から、そしてパタンジャリのヨーガスートラへ。八肢則それぞれの意味・意義を、私たちが行っているアシュタンガ・ヴィンヤサ・ヨガへ落とし込みながら説明がなされました。

 

通常は、パタンジャリのヨーガストラのラージャヨガ(アシュタンガヨガ)と、パタビ・ジョイスのアシュタンガ・ビンヤサ・ヨーガ・システム(現在私達が行っているもの)とを区別することが一般的です。

 

パタンジャリのヨーガスートラというのは、すでに太古から存在していた「ヨガ」ってなぁに?をロジカルに再構築しコンサイスに編纂したマニュアル本みたいなもので、そこで定義されているものをラージャヨガ(アシュタンガヨガ)と呼びます。

 

広義のヨガのくくりの中には、ニャーナヨガ(ギャーナヨガ)とカルマヨガのふたつしかありません。ニャーナ=Knowledge知識のヨガと、カルマ=Action行為のヨガです。ギータでは、ニャーナ、バクティ、カルマの3つのヨガがあると定義していますが、カルマヨガの中にバクティヨガ(献身のヨガ)やラージャヨガ(アシュタンガヨガ)が含まれます。

 

このラージャヨガ(アシュタンガヨガ)を構成する8つの枝として、禁戒・勧戒・座位・調息・制感・集中・瞑想・三昧があります。現在の私達が行っているいわゆるアサナ(ポーズ)は、この中のたったひとつの枝「座位」でしかありません。

 

そしてラージャヨガ(アシュタンガヨガ)によるヨガの定義とは、これら8つの枝を体験習得したのちに、最終的な三昧(サマディ)、すなわちマインドの領域における思考パターンの制御=Self Realization真の自己の発見に至る、ということです。

 

このラージャヨガ(アシュタンガヨガ)のひとつの枝であるアサナに関しても、現在の“アシュタンガヨガ”で行うような太陽礼拝やトリコナーサナ、ジャンプバックやバックベンドの話など出てきません。ヨーガスートラではただ簡潔に3つのセンテンスでアサナを定義するに留まります。

 

1:アサナ(ポーズ)は、しっかりと安定していて、かつ安らぎに満ちたものである

2:アサナ(ポーズ)への努力がやんだとき、無限なるものに意識を溶け込ますこととなり

3:これが可能になってはじめて、苦悩の根源である二元的世界観から解放される

 

これだけです。

私達が毎日行っているアサナの練習。できる、できない、進歩する、後退する・・・まるで振り回されるかのように、練習の全てがアサナであるかのように思えてしまいますが、ヨーガスートラはマリーチアサナDができようができまいが、全く関知いたしません。

 

そこで、前述した部分に戻るのですが、アサナはラージャヨガを成す構成のほんの一部でしかない、という理解のもと、現在のアシュタンガ・ビンヤサ・ヨーガ・システムを捕らえたときに、パタンジャリのラージャヨガ(アシュタンガヨガ)とは区別する、というのが一般的な考え方です。

 

先日行ったバリー先生のWSでは、私達が行っているアシュタンガヨガの源流を知る目的での「ヨガの歴史」というテーマでレクチャーがありましたが、ヨーガスートラにはほぼ言及せず、広義としてのヨガの連綿たる流れの中の「ひとつのメソッド・ひとつのシステム」としてアシュタンガ・ビンヤサ・ヨガを位置づけていました。それがどのようなサンプラダヤ(師弟継承・宗派)であれ、その道筋は異なれど、最終的にたどり着くモクシャは同じということです。

 

そして今回のスティーブンのWSでは、アシュタンガ・ビンヤサ・ヨガ・システムを正しいやり方で行うことによって、感覚の制御、集中、瞑想、サマディまでを身をもって体験し、ヨガの叡智に触れ、マットを離れた日常生活の中に自身のヨガを広げていくというアプローチで、まずは、なにはともあれ正しいプラクティスありき、そのガイドラインとしてヨーガストラ、という姿勢がうかがえました。

 

個人的に面白いと思ったのは、この両名のコントラストです。バリー先生は多様性を飲み込むインド的世界観を持ってヨガ全体を包括し、その中の流れ動きとして個々のメソッドやシステムをとらえていきます。いわゆる「マクロからミクロ」的視点。

 

一方スティーブンは反対に「ミクロからマクロ」的視点で、パタビ・ジョイスのアシュタンガ・ビンヤサ・ヨガ・システムのプラクティスを深く突き詰めることにより、そこに組み込まれたラージャヨガを体現し、そのヨガという叡智によって宇宙の智慧へと精神を広げて行く姿勢が伺われました。

 

ということで、ヨーガスートラを中心にヨガとは?から始まり、クリシュチャマリアとパタビ・ジョイスの生い立ちや逸話などと共に、「ヨガ・クルタ」をベースにヴィンヤサ・アサナというシステムが生み出された背景などのお話へと続いていきました。

 

(文字数規制により、続きは次のエントリーで)



drecom_zushi_de_yoga at 18:09│Comments(0)TrackBack(0)

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